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新作レターセット入荷! [手紙]

久々にお手紙の話題。

大事な人に書くお手紙のお手伝いをしていますが、新作レターセットが届きました。

どんな風に書こう、なにを書こう、あれ、わたしなにを書きたいんだっけ。

そんな気持ちの面からセッション(話し合い)をしながらしたためる、
この瞬間あなたからアノヒトに届けるただ一通のお手紙。

そのセンスを信頼してレターセット選びをお願いしている姉から、
「新しいのを見つけたよー」と久々に新作が入りましたよ!

1505819455150.jpg

シンプルに見えて、一つひとつが個性的。サイズもぜんぶ違います。
右のベージュにオレンジをほんのり足したような色合いは鳥と木の実がポイント。
真ん中はデザインが浮き上がる箔押しで、ちょっと判型が変わっています。
左はサイズこそ定番のA4だけどこれまた染めの色合いがきれい。

書く人の心をしっかり反映してくれる新作たちです。

ぜひぜひ、お手紙の御用命もお待ちしています!

※レターセットは実費でお買い上げいただけますー。

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焼夷弾をさわりに。 [呉調査]

はーるばる、きたぜ、まーえばしー。
前橋駅.jpg

特急券を使わずスイカでぴぴっと、往復5時間程度。
本を読み読み途中目を上げて車窓を見ると、関東平野だねー。
遠景に山々はあれど、どこまでも似たような景色の中、ひたすら、
横移動していく感じ。住まいあたりが土砂降りだったのも知らない晴天のもと。

往復5時間もいとわず?来たかったのは、あたご歴史資料館。
あたご資料館.JPG
前橋駅から徒歩なら20分ほど、愛宕神社の裏手にあります。
なんつーか……、地元密着な素朴さ。

火木土13時から15時までの開館、12時45分に着いちゃったけど、
「いいですよ、どうぞどうぞ、時間いってもあるようなないような」と、
昭和12年生まれのおじさまが半袖半ズボンで迎えてくれました。

わざわざ来たかったのは、焼夷弾がさわれると知ったからです。

太平洋戦争末期の昭和19~20年ころ、
前橋も米軍による無差別じゅうたん爆撃に遭いました。
米軍作成の目標計画順位表では、前橋57位、呉は10位に挙がっていました。

どうして前橋だったのか? 人口別中小都市の一つと考えられたとされます。
もう一つ、製糸産業(生糸)がさかんであったこともあったのでは、と。

安政6年の開国以来、前橋で生産された生糸(からのシルク製品)は、
欧米への主要な輸出品で、外貨を稼ぐ大きな柱だったとか。
空襲を受ける頃には製糸工場とは隠れ蓑で兵器の部品工場になった。どこも、そうなんだ。
「前橋の生糸で、日本は、大和や武蔵を造ったわけですよ」
別の眼鏡のおじさま(こちらも戦中生まれ)が、ちょっぴり自慢そうに言うので、
「そうでしたか、それはありがとうございます、わたし呉なんで」。
対抗していました・笑。
おじさま、目をぱちくり。「大和はどこで造ったんだっけ、三菱?」

わたし「違いますよ、呉の工廠ですよ」
おじさま「ほー、呉で。三菱じゃなかったっけ?」
わたし「(しつこいなあ)呉には海軍の工廠があったです、鎮守府があって。
三菱で造ったのは長崎、二番艦の武蔵です」
おじさま「そうね、そう」

おおう、地道に勉強してきたことがやっと役立ち始めた。と、同時に、
自分の地元のことは知っていてもよそのことはそうでもない……のだなあと。
関連付けてすこしずつつなげていくのも、大事かも、と。課題を感じたり。

こちらが、地元から見つかったという焼夷弾。
焼夷弾3.JPG

焼夷弾展示.JPG
実に無防備に置かれています・笑。ちなみに扇風機は展示品じゃなくて現役備品。

わたし「さわっていいですか?」
おじさま「どうぞ、どうぞ」
焼夷弾持つ.JPG
持ってみました。
重くて、硬くて、じゃりじゃりしている。

おじさま「これ、持てるかね?」
わたし「なんですか、これ?」
おじさま「焼夷弾をまとめて束ねて頭にかぶせるふたよ。重いよ~」
わたし「……ふんぬっ! ぬぬ、あ、あがらないっ!」
おじさま「ハハハ! 上がらんでしょう、25~30キロはあるかねえ」

焼夷弾蓋.JPG
え? え? これがB29から落ちてきたの?
これで即死する!

焼夷弾は、日本特有の木造建築を燃やすために開発された、つまり市街地と市民、
無差別攻撃のための兵器。一本六角形の辺に合わせて合体させ、このふたをつけ、
投下してから結束バンドがちぎれてバラバラになった焼夷弾が降ってくる。

ついこの夏、もう一本展示していた焼夷弾が陸自に没収?されたそうです。
「中にナパームがちょっと残っていたのかなあ、ほかのより200グラムほど重くて、
信管もついたままだから、こりゃマズい、危険ですから、って。
農家さんに頼んでもらってきたのになあ、残念よ、残念」。とはいえ、
運んでくるときやここで爆発しなくてよかったと、カラカラ笑うおじさま。

小さな集会所一部屋の広さですが、お話好きのおじさまと、無防備な展示品で、
2時間近くも見ておりました・爆!

鉄のカブトもかぶってOK。重い。これで南方作戦は苦しいです。
鉄兜.JPG

赤紙.JPG
赤紙、召集令状。
毒マスク.JPG
防毒マスク。こんなものが身近にあったとは。
飯盒と水筒.JPG
名前や日付が彫られています。
ゲートル.JPG
ゲートル。初期は左で緻密な織りでしたが、だんだん右のように薄くなった。
現代にもサポーターは各種ありますがゲートルもその一種。
古くは江戸時代の脚絆(きゃはん)が進化したもので締め付けの疲労防止。
ゲートルを巻いて歩け走れひと時も止まるな、なのです。
加えて、下から這い上がる虫・蛇・蛭も防いだといいますが、
こんなに薄くなってはやられ放題で兵士は傷ついていきました。

あたご記念写真.JPG
今井さんと、太田さん、わたし。

さわれる、ということがポイントでした。歴史をわが身に想起させるために。
みんなに触られて腐食していくリスクもあると思うけど、
ガラスケースの中に大事大事に飾るだけでは遠のいていくと思うんです。
さわって、手を真っ黒に汚して(焼夷弾はあえて磨いてなそう)、重くて、
過去になにがあったかを、もしいま同じことがあったらどうなのかを、考える。
わが身のこととして、考える。

行ってよかったです。往復5時間は電車のお尻が痛かったけどね・笑。

★初回アップ時の記事に一部間違いがあり、ご指摘いただいて直しました。
本当にありがとうございます。どんどん教えてください!

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威厳とやさしさ。 [呉調査]

思い出したような更新ですが、呉のこと、すこしずつ。

この夏の弾丸帰省の目的に、造船のJMU見学がありました。
ジャパンマリンユナイテッド。旧呉海軍工廠の造船所跡地を受け継ぐところです。
jmu.JPG
写真左手に切れちゃってるけど見えますね「大和のふるさと」。
ここで戦艦大和は建造されました。
いまはコンテナ船に特化した造船所です。
巨大コンテナ船を15隻連続建造しているちょうど折り返しのあたり。
わたしが見学させてもらった日に8隻目が試験運転に出たとのこと。

大和を建造した造船船渠(せんきょ)の大屋根の一部が現存しています。
船渠の底は大和という巨体に合わせ1メートル掘り下げて拡張されましたが、
現在は埋め立てられ溶接工場になりました。
(ちなみに溶接技術は非常に難しく一級の熟練技師はここ呉に多いそうです)

大屋根の下を(車で)通りました。ここが、そうか。
市民の目から遠ざけたかった極秘戦艦の隠れ家。
いまも現役の工場のためか、
ノスタルジックな感傷ではなくモノが造られていく臨場感があります。
これ、むかし、スペイン・バルセロナでサグラダファミリアを見たときの
感覚に似ている。崇高な教会うんぬんではなく「現在進行形の工事現場」と感じた。
サグラダファミリアは過去からずっとずっと建設途中ですからね。
過去の時間から途切れることなく受け継ぐものが呉のJMUにもある。
歴史を「歴史」として昔話のように聞いているのではいまに役立てられない。

そういう意味でのある種のトリップ感は受けました。
野の川に飛び込むように、時間(歴史)の流れに飛び込むような。
溺れるわけにはいかない。流されるわけにはいかない。
流されず溺れないための泳法が、歴史を正しく学ぶこと。
まだまだ浮輪がないと完全に溺れるわたしですけれど・苦笑。

史料館もご案内いただきました。呉の造船の歴史が緻密に大事に残される稀有な場所。
普段は一般公開ないそうですが、こんどの10月に一般公開がありますよ!
1505174880146.jpg

外から眺めているのと、中に入るのでは、まったく違う。

歴史書を丁寧に読めば書いてあることであっても、
かいつまんだ解説書や観光パンフには載ってこない、だから知る人がすくない。
そうした史実が史料館にはたくさんあります。大和の工法とか、溶接とか、
呉が受け継ぐ技術の骨頂を知り、正しく学びたいと思いました。
もちろん、理系頭ではないからそういう理解はたぶん無理だけど・汗。

この辺りだけでドラマ一本できるから。そんくらい事実は小説より奇なりだから。
戦争賛美でも、兵器奨励でもなく、純粋なる技術と熱意をどうすれば抽出できるか。
いや、兵器である、という事実をしっかり踏まえてからがスタートか。


見学後、初めての呉地方総監部庁舎へ。言ってみるもんです。
外観.JPG
庁舎には道路側と海側の両方が「正面玄関」。海自なので艦艇で訪れることが大前提。

煉瓦造りが有名です。空襲や芸予地震で一部損壊しながら修復を超え、
当時の形が再現されているとのこと。

三本の矢柱.JPG
玄関正面の柱が三本組になっているのは、
安芸(広島地方)の領主、毛利元就の逸話「三本の矢」をヒントにデザインされた、
という説もあるのだそう。
この三本の柱に注目して紹介している媒体は絶対的にすくないです!

威厳とやさしさ (1).JPG
一階と二階で壁や窓枠のデザインが違うことは有名(らしい)。
でも、それぞれの表現について述べているものはすくないと思う。
上の丸みは「やさしさ」を、下の角張は「威厳」を。

勝手なとってつけ解釈と思われてもいいです、でも、わたしは納得したかった。

力のみでは闘えない。だれも着いてこないし、だれも守れない。
感情ある生き物が地球上に人間のみであるなら、やさしさがなければ生きていけない。
本当の強さはやさしさ、なんて、最近はときどき聞きますね。

敷地内を案内してもらっていると、通りかかる自衛官のみなさん、
とても「快い」ので、こちらも「ココロ良く」なれました。
普段は厳しく規律正しくされているのでしょう、だからこの柔和がある。

百聞は一見に如かず。
外から見てるだけではなく、これからもぐいぐい行きたいです。



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日本ヒーロー不在論? [つれづれ]

家人はヒーローアクション映画が好きでよく見に行きます。
ちなみに一人で。
わたしは映画慣れしておらず芝居好きなので文句はないですよ・笑。

で。
こんな話になりました。ヒーローものって外国映画ばかりだね、と。
「日本にヒーローはいないの?」とわたし。
うーん。

たとえば普通の人が実はヒーローだった!というスーパーマン。彼は新聞記者。
バットマンやアイアンマンはお金持ちだけど身分を隠して悪と戦う。
一塊の人間がヒーローになれるってまさにアメリカンドリームなのかな。
日本にジャパンドリームってないのかしらん?
いろいろ考えたけど思い浮かばないのです。

ドラえもんは未来から来た猫型ロボットだし、
ゲゲゲの鬼太郎は妖怪だし、
ウルトラマンは宇宙人だし、
ポケモンのピカチューはモンスターだし、
アンパンマンはパンだし。

「そしたら、ジブリは?」
あー、近い気がしたけど、日本だぞって確実な設定じゃないですね。
ジブリや野田秀樹のヒーロー(主人公)は女。
地母神の発想なのでしょうか、生と死を司るのは女神だから。

「だれかに助けてもらうヒーローものって感じだねえ」
基本、自分の力で戦うんじゃなく、何者かに助けてもらうんだなあと。

うんうんと考えて、唯一、一塊の人間がヒーローなのはパーマンじゃないかと。
パーマンは小学生で、パー子はアイドルで、ブービーに至っては猿。
「ゴレンジャー」的な流れもそうかな。
「変態仮面」はヒーローに入るんだろうか。

うーん。
日本のヒーロー、どこにいる?

あ、「遠山の金さん」とか「暴れん坊将軍」は?
素性を隠して悪に立ち向かい・・・、いや、最後は素性で勝つのか。

「守ってもらう」が基本思想なのがちょっと気になったのです。

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まったく関係ない写真です・笑。三越日本橋本店の巨大な彫像。


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ソロ・フラ。 [フラ&タヒチアン]

先日、ウエディング会社勤務時代の先輩にお誘いを受け、
とあるパーティーでフラを披露しました。
結婚にまつわるさまざまな人々が集まり、親睦を深めながらつながりを作る。
いま、わたしはウエディングからほど遠い仕事だけど、
新卒で入社したワタベウエディングの先輩・上司の方々には
いまだにかわいがっていただいています。不思議なつながり。
生意気盛りの当時のわたしを笑って許して励ましてくれた方々に、
これでお礼の一つでも……、たぶんそんな力はないけど・苦笑、
好きなフラを踊って喜んでもらえるなら、エーンヤコーラ!

プロにメイクもしてもらっちゃった!
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ぎゅゅっとアップで大人っぽいバージョン。
いつもはいい加減な(爆!)アイメイクもばっちり。

出番は2回。なんと、オープニングでいきなり踊る!
説明は一切なし。
音楽が鳴り始め、皆さんが「んん?」なところに出ていって一曲目。
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「ハワイウエディングの帰国後パーティー」が今回のテーマ。
せっかく踊る人がいるなら(わたしのこと)サプライズな演出にと。
ええー、わたしで大丈夫かいな・汗? と、最初は焦ったけど、
後で聞いたらなかなかの評判をいただけたようでした!
2回目はさすがに紹介を受け、新郎新婦(本物ではなくモデルカップル)のそばで、
祝福も込めて踊る設定です。

せっかくなので、衣装チェンジしちゃいました★
(最初の衣裳はへそ出しなので)
(次に踊るまでの間は飲み食いしますからね、お腹を冷やさないように・笑)

演出の一部として微力ながらお力添えができたこと、
生意気なOL時代を見守ってくれた先輩方に再会できたこと。
なかなかないソロで踊っちゃったこと。経験ですねー。

今年のフラ見せはこれで終わりかな?


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本物っぽいか、本物か。 [呉調査]

盆明け弾丸呉帰還のご報告、すこしずつですが進めていきます。

昨年2016年5月に呉市による戦艦大和の潜水調査が行われ、
現在大和ミュージアムにて「海底の戦艦大和ー呉市潜水調査の成果ー」の
特別展示が開催されています。11月27日まで。

今年初めに、実際に潜水調査をされた職員さんと学芸員さんにお話を聞きました。
同行した若い新聞記者さんにも。
約50時間の映像と約7000枚の写真を撮影してきたとのこと。
新しい発見もあったし、過去3回の潜水調査から年を経て朽ちた実態もわかった。
どのような展示にするのか、非常に考えられたと思います。

4月末に始まった特別展示がようやく見られる。
期待して行ったけど、すこし物足りなかった。

解説のパネル展示は、300円のパンフレットと同じ。まあ、
見学した後にパンフレットを購入すればおさらいできるので、助かります。
ただ、「展示でしか見られない」感がすくないのは残念。
7000枚もある写真を(出し惜しみせず)見せる方法はなかったのかな。
もちろんすべてではなくても、もうちょっと、閲覧者が自由に見られるように。
写真で畳みかける感じがあっても良かったなあと。

一方、数分に編集された映像解説は見やすかったです。
主砲とか、バーベットとか、甲鈑とか、缶室とか、測距儀とか、
艦艇の専門言葉がわからないと「???」だけどそれは仕方ないとして、
海底の現状はこうなのか、とわかる以前に、「戦艦」とか「大和」とは、
ごっつい鉄のかたまりなんだってこと、兵器であるということを、
イメージではなく映像の事実で見て知ることは大事でした。
わたしは「一方的に見せられる」ことが苦手なので・苦笑、
映像が長すぎないのが良かったのは非常に個人的な好き嫌いの理由で・爆。

見せどころはこれだった、のかな。
大和レプリカ.JPG
海底の傾きとほぼ同じに造られたレプリカ。
残念ながらあまり人を集めていません。
照明が暗いせい? 劇的な解説がないせい? ……ちがう。
「本物っぽいにせもの」はいらない、から。
明らかにレプリカなので惹きつけられない。原寸大を見せたいなら、
ここまで作らずとも、7000枚の中から拡大写真を置いたほうが、まだ。

大和3D.JPG
いま、海底の大和はこんな風に散らばっている。
こっちの展示を中心にするのもアリだったんじゃないかな。
これも完全なる模型だけど、レプリカとは目的が違う。
当時世界一と言われた巨艦がコッパみじんという事実。
どれが主砲搭で、どれが測距儀でと、非常に興味を持ってのぞき込む。
鉄の塊、技術の粋、爆破の恐ろしさ、戦争とは――。

ああ、欲を言えば、新聞記者の若者も言っていた「生活の跡」も、
勇気をもって展示しても良かったかもしれない。
遺族感情は確かにあるけれど、わたしたち全員が、日本の遺族。
見たい/見たくない、感情はごく個人的に真逆に振れる。
直接的な遺族が途絶えればおしまい、ではないから、
見たいも見たくないもわたしの中にもある。

せっかくの特別展示。特別な想いを抱かせてくれますように。

機会のある方はぜひ足を運んでください。そして、
抱かれた想いをわたしへのご指摘もぜひぜひよろしく何卒☆彡



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誉められて育つ! [ライター仕事]

ちょっとお久しぶりにライター仕事ネタです。
このところのディープな呉ネタの、箸休めな感じで・笑。

ただいま絶賛発売中の雑誌『FLIX』さんにインタ記事出ました。
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表紙が写真掲載NGな方なのでぬりぬり失礼します・汗。
わたしが今回インタしたのはこの方ではなくて・・・。

泣く子も黙る!?ジャニで大人気の松〇潤さんです!
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こちらもギリギリお顔が隠れるように。わたしの名前だけ大アピール。
・・・と思ったら、写真、ボケてますね。右端にクレジット入れていただいてます。

普段は舞台(ローチケ演劇宣言さん)やドラマ(関テレさん)が多いですが、
ときどきお声掛けをいただいて映画のインタビューもします。
FLIXさんは「丸古さんの自由に書いてね」的な野放しなので・笑、
文字量だけ渡され、後は、自分で文章構成を考える。
そして、多分に、わたしの個人的な表現を盛り込みます。

まつじゅんさんのインタは、カコミから始まりました。
すんごくたくさんの媒体が来ていて、席順でわたしはたまたま質問順が最後。
前半の媒体さんが時間をたっぷり使っちゃったもんで・苦笑、
わたしの持ち時間はわずか・・・。えー、〆になにを聞いたらいいかしらん?
しかも、「お後がよろしいようで」な回答するのが相手も気持ちいいはず。
しかも、しかも、ほかの媒体に取られてもいい内容・・・。

まあ、そんなこんなで、多くの媒体がひとつの回答から文章を起こすことになるため、
どんな文章構成にするかはとても重要になるのですね。
わたしらしく、FLIXさんらしく、なによりまつじゅんさんらしく。

その後にすこしもらえた個別インタビュー時間で、
原稿ラストのほうは独特のものになったとは思います。

それで。

ふとある日、FLIXさんから「評判いいですよー」って連絡もらいました!

なんか、SNSとかで「FLIXのまつじゅんページいい!」な投稿が多数。
さらに、「お葉書も来てるよー」。感動してくれたファンの方が雑誌宛に
お葉書を届けてくれるのです。わざわざハガキを用意してペンを持って書いてって、
アナログな感じに感激するじゃああーりませんか。
(写真がとっても素敵なのでそれがミソですが、テキストにもお誉めが)

うれしいです、素直に!

わからないものですね、ほんと。

どんな言葉が、表現が、切り取り方が、どんな方に突き刺さるのか、って。
ある意味、客観的になれる瞬間でもあります。客観的に自分を学ぶ。


こういううれしいことがあるので書き手はやめられません。
わたしゃ、誉められて育つのよー!笑




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伝え方の変化。 [呉調査]

18日に雅叙園ディナーショーを終えて翌日19日から、
疲労した身体を引きずって弾丸呉帰還。3泊と短かったけど、
またまたじゅうじつしすぎる濃い濃~い時間と体験。しばらく復活不可能・苦笑。
すこしずつご報告していきます!

今回の帰呉の目的は、まずは盆(明け)の家への定例顔見せ。
それと、東京でパチパチ文作にあたって疑問や穴のある部分を確認すること。
もうひとつ大きな目的がありまして、それは次回のブログで★

帰呉したその夜は幼なじみたちとてっぺん越え飲み会。
なんでこうも毎度毎度、話題と笑いが絶えないかね・笑。
「おかえり~」「ただいま~」。
このごろ何度も帰呉するからこっばずかしいんだけど、
「なにようるん、いつでも帰って来んさい」と。そうだここはわたしのふるさと。

「ふるさと」のフレーズから呉といえば「大和のふるさと」がいまのキャッチコピー。
旧呉鎮守府司令長官官舎の入船山記念館に続く美術館通りには、
戦艦大和のストーリーを辿るマンホールが設置されています。
大和マンホール.JPG
足元をチェック!
こんなデザインマンホールが坂の上の入船山記念館前まで続いていく。

戦艦大和は何度か姿を変えています。甲板に載せてる対空兵器が変わっていくの。
戦いのたびに故障して修繕して追加して変更して次の戦いに備える感じで。

竣工時。
竣工時.JPG

捷一号作戦(レイテ沖海戦)の時。
捷一合作戦.JPG

天一号作戦(沖縄特攻)の時。
菊水天一.JPG
「菊水一号作戦」と記されているけど、正しくは「天一号作戦」ではないか、との指摘があります。

……ええと。こんなマニアックに見せられても困るかもだけど・汗、
よくよく見てください、搭載されている対空兵器、すなわち副砲や高射砲の数や位置が
それぞれ違っている。ハッキリ言ったら増えていくの!

デザインマンホールはぜんぶで10個あり、美術館通りに8個、
長迫公園(旧呉海軍墓地)に2個。長迫の2個は今回見逃したので次にお預け。

写真を撮りながらフムフム登って入船山記念館へ。
入ってすぐに高烏砲台(休山)から移築した火薬庫があります。
入船山火薬庫.JPG

ここに古い絵画が展示されていてそれが見たくて行ったのだけど…。
火薬庫の絵.JPG
本物はなくなり、スライドになっていました……。

「つい半月前なんですよ。もう絵も古くなって展示に耐えられなくてね。
絵のほうが説明しやすくてよかった。これになって説明しなくなりましたね」
と、ボランティアガイドのおじさま。

もったいない。

絵には、リアルな写真とは違う「当時の空気感」が現れていた。
筆を走らせる画家の主観が混ざるということは、当時の人々の思いが、
構図や色や切り取った景色にあった。それを再度感じて行ったのに、
とっても残念でした。

しかも。

同じ火薬庫の中の絵とは反対の壁では、新キャラクター「呉氏」のプロモビデオが。
うーん…。
子どもはこれを見ればおしまいだし、肝心の絵のほうは親も無視していく。
火薬庫の空間に「くれーしー、ごな、くれーしー♪」が響きまくって参った。


いや、いいんだけどさあ。

なんか、ちょっと、これでいいのかなあって。

ここ入船山記念館(旧呉鎮守府司令長官官舎)は、元は亀山神社があった場所。
神様を遷宮させて海軍が陣取った。
入船山窓.JPG
歴史民俗資料館の窓から、いまの亀山神社が見えていたんだけど、
緑生い茂る夏のせいか、剪定してないせいか、ほとんど見えなかった。
冬の季節に行けば見えるかなあ。

伝え方の変化、というものを、すくなからず感じました。
いまの人にわかりやすいように、興味が持てるように、キャッチーに。
決して間違ったことではないと思う、ただ、残すところは残したい。
残せる方法を考えたい、なあと。

わたしはたぶん「いまの人」のグループに属する。
まずはわたしが興味を持てる方法を探してチャレンジします。


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雅叙園ディナーショー2日目! [フラ&タヒチアン]

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雅叙園ディナーショー2日目を無事に終えました!
(ちなみに上写真は右端手前の帽子がわたしです)

仲間たちのお客様も大勢いらしてヒューヒューの大声援。
「おもしろかった!」と言っていただいて、おもしろい…?・笑。
おもしろく楽しんでいただけたのならとってもうれしいですね。

前半/後半の2ステージで全19曲。
わたしの出たとこだけですが、すこしご紹介。
仲間の従姉妹さんが撮ってくださった写真をお借りしまーす!
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左端の紫がわたしですー。

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手にしているのは「イイ」というタヒチアンの持ち道具。

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前のブログでも書いた「タヒチヌイ」という曲。
ものすごく腰を回す演目なので・汗、必死でした。
わたしはどうも右腰を回すのが不得意(右腰が硬いのかな?)で、
必死で練習しては湿布を貼るの繰り返し・苦笑。

ディナーショーは初めてだったので良い経験をさせてもらいました。
今年のステージはこれが最後かな?


いつか、地元の呉でも踊れたらいいなー。

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終戦の日に。 [呉調査]

太平洋戦争が終わって72年。長いです。長いけれど、
自分が生まれた昭和45年が、終戦からわずか25年目だったと思うと、
わたしの体もいくばくかの「戦後」の空気感を幼い時期に浴びていたのではと、
そう思いもするのです。

戦争体験者が高齢化して話を聞くのが難しくなってきた。
でも、まだ、すこしは聞ける。これってすごいことです。
幕末とか戦国時代のことはもう誰にも直接は聞けないわけだから、
それとは違って太平洋戦争についてわずかでも直接聞けるのは、すごいこと。
この機会を逃してはならないと思います。

とはいえ。

なんのツテもない一塊のわたしではなかなか難しいんですけどね・汗。

単に勇気がないってのもある。誰か教えてください、聞かせてくださいと、
当たって砕けろをがんばってはいるのだけれど、なかなか、なかなか。

呉を調べはじめ、「呉だけでは収まらない」ことに気づいて唖然とします。
もちろん、「呉」だけでも、わたしのような者では受け止め切れない
大きな大きなものを孕んでいて、器がぜんぜん足りないんです。
それでも、1年前と比べたら、ずいぶんがんばって勉強したんだよ・笑。

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呉の戦災の体験記と資料を編集したこの本は、もう、
呉市内にはほぼ残っていないそう。
先日の帰呉で訪ねたおば様にいったんお借りしたんだけど、
「この時期はひっぱりまわされて、質問攻めで、本が必要になって」と
ご連絡をいただき返却しました。いずれ要らなくなったら譲ります、と。
それは、おば様からもうお話が聞けなくなったときを指すもので、
すぐには返事をしかねたけれど、「大切にしてくれる人にあげたいの」。
それまでに信用していただくに足る人になろうと、「はい、いただきます」。
小さくて硬いダイヤモンドの原石みたいな約束をさせてもらった。

ちなみに、本はもうないけれど、中身は読めます。
http://kure-sensai.net/Book/KuroiBonchi/KuroiBonchi.htm
(呉の戦災を記録する会)

一方で、呉が抱える自衛隊のことも、すこしずつ、知っていく。
江田島の海上自衛隊第1術科学校・幹部候補生学校を見学(ちょっと前)。
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DSCF1668.JPG
こちらは呉市内の通称・てつのくじら館、海上自衛隊呉史料館。
「このアングルがいいんだよ~」ってボランティアガイドのおじさん撮影・笑。

ち、ちょー難しいんだけどこんな書籍も。
同じような話をいろんな本で何度も何度も繰り返し読んでやっとすこしだけ憶える感じ。
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ほかの方がFacebookでシェアしていたので知ったのだけど、
http://www.rosenkranz-jp.com/Information/People_musical_instrument_music_car/famous_saying/emperor.html
玉音放送の「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」の原文の意味は、
現代のわたしたちが印象付けてしまっているものと違うようですね。
耐えて忍んで敗戦を受け入れるのではなく、
これからどんなに辛いかもしれないが耐えて忍んでがんばろう、という意味。
(かなり意訳です、きちっと原文見てくださいね)

わたしたちは、すくなくともわたしは、決して戦争を美化しない。
ただ、「歴史が語ること」に真摯に耳が傾けられるかどうか、目が開けるかどうか。

愛とは、寄り添うこと、耳を傾けること、と言います。
歴史を体験し、いま目の前にいてくださる方々に愛を寄せて、
ますますがんばります…、と、今日だからちょっと決意を書いてみました。



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